彼は、いつものようにテラスでお茶を飲んでいた。
木製の長椅子にクッションを持ち出し、周りに植えられた木々の隙間から漏れる木洩れ日の中、寝転んで本を読んでいた。
本は大型の辞書くらいであろうか。もう殆ど痛み始めている革製の作りをしている古ぼけた本だった。表紙の痛み具合の割には、中身の保存状態は良く、持ち主の本への几帳面さと愛着が表れていた。
表紙に『Millennium Kingdom』と古い言葉と書体で焼き印が押されていた。
彼はそれをお腹の上に乗せ、利き手ではない右手で支えていた。
度々ページを捲る手を止めては、側に置かれているテーブルの上のティーカップを手に取る。
鼻を近付けると、ふくよかなダージリンの匂いが広がっていく。
「平和だねぇ」
そう呟くと彼は、残っている温くなったお茶を飲み干す。そして本に枝折りを挟み、椅子から立ち上がると、側にあったカップとお揃いの白い磁器製のポットから、お替わりを注いだ。
今まで白い底面に、琥珀色の波紋がゆっくりと広がって。
それと同時に薫る柔らかな匂い。さすが、紅茶のシャンパンと言われたダージリンだけある。
注ぎ終わると、彼はポットを元あった場所に戻し、ふと眼前の庭先に目を向けた。
テラスから見える花壇は、手入れがされていない割には綺麗に咲いていた。
花は、もういつ植えたのか、誰が植えたのかは覚えていなかった。
そんなのは、遥か昔の事であると知っていたし、あまり昔を思い出す気にもなれなかった。
だた目の前に、あるのは植えられた事実だけであって、思い出なぞあの瞬間に捨て去ってしまったのだから。
(本当にいつだったのだろう……)
この屋敷から、一人、また一人と誰かが姿を消して……、最後には自分一人だけになってしまったのは。
自分の体を見た。
まだ14歳位の成長途中の体。これがなにを意味しているのかも、良く知っていた。
少年は何かを否定するように、慌ててかぶりを振ると改めて外を見た。
沢山の木々は、丘の上から見える町並みを隠すように存在している。まるで隔離された空間のようだった。
その隙間から零れる僅かな太陽の光は、ゆらゆらと水面を漂う木の葉のように揺らめいていた。
床に生える、伸びきった雑草の上に降りてくると風と一緒に揺れ、ダンスを踊っているようでもあった。彼には、その光は言葉では形容しがたい程、神々しく神聖なものに感じた。
太陽の光は、神の光とも言う。まさにこれはその言葉が似合っていた。
「……変わらないな、この風景も」
彼はそう小さく呟くと、長椅子の上に乗った本を取ろうと屈んだ。
カンカンッ
「あのぉ〜、どなたかいらっしゃいますかぁ?」
金属が木片を叩くような音と共に、可愛らしい女性の声がかすかに玄関先から聞こえた。
彼は掴んだ本を長椅子に置き直すと、奥の居間へと消えていった。
居間からさらに奥にあるドアを開くと、二階への大階段がある大広間に通じていた。
二階分の高さの天井から漏れる光の粒子は、彼と階段を包み込むように舞い踊りどこかへと消えていく。
階段から玄関には、紅の絨毯が敷かれ、屋敷の重厚さや懐古的な雰囲気を醸し出している。
彼は階段の目の前にある、重厚な玄関の扉をゆっくりと開いた。
ギギギィ、という何年も開かれなかったような音を立てて、扉は左右へと開かれる。
扉が半分程度開かれた先には、人間の少女が一人立っていた。
「あ……、こんにちは」
そう小さく漏らす声は、間違いなく先程聞こえた甘く可愛らしい声であった。
青みがかった長い髪に、今日の空のように青く深い左右の大きな瞳。
髪止めの白いリボンとお揃いのレースの帽子は、白魚のような白い肌の両手で持っている。
これまた青みがかった白いワンピースは、僅かに吹き付ける風によって揺れ動く。
綺麗というより、可愛らしさの残る幼い顔付き。背丈は、少年より二つ頭ほど高いだろうか。
年齢は外見からして十代後半、大体十六、七歳くらい。
彼は、上目遣いで彼女を見てこう言った。
「何か、ご用でしょうか?」
しばらくの間、彼女は不思議そうな顔で彼の事を見ていたが、いきなり納得した顔をしてこう彼に告げた。
「あの……、ボクはお弟子さんですか? 私、高名なネクロマンシーのウィルさんにお会いしたいのですが、お取り次ぎお願い出来ますか?」
「………でし………」
その言葉を聞くと共に少年は引きつったような表情をして、そのまま凄い勢いで扉を閉めようとした。
しかし少女は、その締まりかけた扉を掴むと勢いよく開く。
扉の遠心力につられて、彼も一緒に勢いよく外に放り出される。
玄関先の花壇に突っ込み転がり泥まみれになりながらも、彼はすぐに立ち上がって目の前の少女を睨み付けた。
「があぁぁっ! 何をするんだ、何をぉ!」
「何って……、いきなり閉めることはないでしょ! さっさとウィルさんを出しなさいよ!」
怒鳴りつける少年の言葉に対し、先程とはうって変わった行動と言動に出る少女。
少年は花壇の泥を両手で払い、トテトテと早歩きで玄関前まで歩くと、玄関わきで全開している右側の扉を掴み、そのまま勢いよく扉を閉めようとした。
……だが目の前の少女によって、それがまた阻まれる。
歯を食いしばってノブを握り締めると力一杯閉めようとするが、相手も相手で引っ張っているだけでは無く、扉の隙間に片足を突っ込んでくる。
「さっ……さと!、あっちいけっつー……の!」
「な、なん……でよぉっ!」
もはやここまで来ると、体力的な問題では無く、精神的な問題になってくる。どちらの体力が持つかというよりかは、意地の張り合いになっているようだ。
チュンチュンと可愛らしい小鳥が飛び交う中、二人の少年少女は扉を間に挟み、しばらくの間ではあるが戦いを繰り広げていた。
そんな時だった。
一匹の狸がガサガサと物陰から音を立てて、現れた。
その瞬間、少女は目を輝かせて
「あーっ、タヌキタヌキさんっ〜!」
と言いながら、指と足をするりと扉から抜いて、タヌキの方へと走り去っていった。
その瞬間彼の掛けていた力はすべて扉の方へと移り、ガタンッ! という勢いのある音と共に扉が、蝶番が………外れた。
そして、仲良く狸と戯れる少女の後ろ側からは、「ギャーッ!」という絶叫と共に玄関先に埃が舞い上がった。
「えっ、あなたがウィルさん! 嘘でしょぅぅぅ!」
客間。品の良い調度品などが並べられた日当たりのいい部屋の一室。
少年は、このかた生きていて幾度か聞いたその腹の立つ嫌な言葉を、包帯を巻きながら聞いた。
「わるかったな、ボクがウィルで」
彼、ウィルは頭に包帯を巻き終わると救急箱をわざと音が立つように閉じた。
一つに結わいた茶色の少し長い髪に白い包帯。あまりにもミスマッチではあったが、先程の惨事の後始末にしては、軽いほうだと思った。
何十キロもある木製の扉が自分の上に倒れ込んできたにも関わらず、頭の切り傷だけで済んだのだ。
(この……タヌキ女め)
その時の痛みと情けなさを思い出し、余計に腹が立つ。
扉は取り敢えず玄関先に立て掛けてあるが、後で業者を町から呼んで直してもらわなければならない。
そして今更ながらも、そんな疫病神のような女にお茶とクッキーを出して屋敷に入れたことを、ウィルは酷く後悔した。
たまに自分の名声や噂から、勝手にウィルという姿を想像して決め付ける人間がいることを彼は知っていた。酷くなると、こんなの私の理想と違う! なんて本人に言うのもいる。
「私が思っていたのは、ネクロマンシー・ウィルは綺麗な金髪を爆風に靡かせ、優しい笑顔で『大丈夫かい? 私がいればもう安心だよ』とかエレガントな微笑みを向けてくれる、ビシッとスーツを着こなした二十歳くらいの素敵な美青年だったのにぃぃぃぃ」
彼女は、理想とは全くかけ離れた現実のウィルの前で泣き叫んだ……。
いわゆる最悪なのはこういうヤツの事である。
(………追い出そう、この馬鹿)
彼は、絶対にこの少女の依頼、仕事を受けぬ事を改めて強く決意し、温くなったお茶を啜った。
「……で、ボクに何の用ですか?」
彼は、明らかに不機嫌でウンザリしているという感じの口調で少女に言った。
少女は明らかに不満そうな顔を少年に向けたのだが、そのまま話し始めた。
「スケルトンが屋敷に出るんですけど、何とかして下さい。私……お化けとか幽霊とかが駄目なので……寝る時も怖くて」
(嘘つけ。花壇にボクを放り込んだくせに)
あれは不可抗力? だったというのに、彼はぶつくさ言いながらも彼女に向かって睨み付けた。
唯一幸いなのは、彼が声に出してそれを言わなかった事である。
口にでも出せば、たちまち大喧嘩になるのが、前回の扉の件で立証されているからである。
取り敢えず、先程決めたように断ろうとしたその矢先だった。
「お礼は何でもします。えーっと、取り敢えずウィルさんは御本が好きだという事で屋敷にあったものを沢山持ってきたんだけど……」
と言いながら、彼女はソファの上に置いてあったカバンの中から沢山の古びた書物を取り出す。積み上げれば高さにして、約一メートルほどであろうか。そして、それをテーブルの上に並べた途端、やる気のない呆れた表情をしていたウィルの目の色が一変した。
『Monochrome Mind』と書かれた小さい辞書サイズの本もあれば、『ギルデロイ全集』と書かれた金の装飾がされた豪華な作りの本。どれも共通していえる事は、今から何百年も経過したような印字の状態や染み、黄ばみである。
ウィルは、慌てて本を取るとパラパラと捲り、すべての最後のページの何かを確認する。
「し、初版!? それも保存状態がなかなか良いときてる」
そうブツブツ呟きながらも、決してページを捲る手を止めない。
そればかりか、先程まで疲れていた顔がみるみるうちに嬉しそうな……、それでいて幸せそうな顔に変貌していくのが、目の前に座っている彼女にも分かった。
そして最後の本を手にとり、内容を確認すると満足そうにパタンと閉じて、少女に向き直った。
「君の名前は?」
「……えっ? あ、ルナリー。ルナリー・G・アリシオードですけど」
彼はそれを聞いた途端、目を輝かせて商売顔で精一杯微笑んだ。
「…………やります。任せて下さい、ボク一流ですので」
大金持ちは、趣味が悪いと誰が言ったのだろうか?
ウィルとルナリーの目の前に広がる大庭園は、その枠から遥かに除外された美麗さであった。
確かに、華やかさはある。領地に入った途端、見渡す限りに広がる大庭園から屋敷に続く道には手入れの行き届いた花壇があり、その中で素朴ながらも美しい色合いを保った花が規則正しく咲いている。
奥には木々に囲まれたテラス。彼のテラスの何倍もある。
そして目の前には大きな石造りの噴水と洋館が小さく見える。
「へぇ、これが君の屋敷かい」
手短にある薔薇のアーチを潜りながら、彼は感嘆のため息をついた。
「えぇ、あんまりぱっとしないけどね」
と彼女は苦笑しながら言った。
そんな彼女を見ながら、彼は目の前にそびえ立つ屋敷を見上げた
屋敷全体に重厚な雰囲気が漂い、初めからこの場所にある事を義務付けられたようでもあった。
彼は、位の高い人間が持つ一種のプレッシャーを感じ取った。
それに対してルナリーは、そんなプレッシャーの漂う屋敷の扉を訳も無く開いた。
「わっ!」
開いた途端に二人の人間が扉から出てきたため、慌てたルナリーはバランスを崩してふらついた。
「あら、ルナリー」
冷たい口調でそう言いはなったのは、名も知らぬ女性だった。
僅かに薄くなった髪をアップにして結い上げ、細身の体に青いスーツに身を包んでいる。
その左手にいるのは男。中肉中背の中年男だった。
お洒落程度に生やした髭を摘みながら、こちらをいぶがしそうに見ている。残念ながらその髭はあまりにも彼には似合っておらず、ギョロギョロした目とテカテカに光った黒い頭が印象に残る。
「兄さんは、もう死んだのだからな。そろそろ、お前の行くあてを探さねばならない」
そう男は、顔に似合わぬガラガラ声で呟いた。
「はい……、叔父様」
そんな無情な言葉に対し、ルナリーは顔を背け返事を返した。
そして、無言のままスカートを翻すと屋敷の中へと消えていった。
残されたウィルはそれを追いかけて荷物を抱え、小走りで扉の前まで向かう。そしてその二人と擦れ違う時だった。
「何をしに来たのかは知らぬが、余計な真似をするなよ、餓鬼」
そう男がはっきり聞こえる声で呟くのが聞こえた。
その声に一足遅く、ウィルが振り向いた瞬間だった。
彼が最もよく知っている匂いが鼻についた。
肉が腐り落ち、破滅を待つ瞬間とその残り香。
決して普通の人間からするはずのない臭い。
(死臭……?)
ほんの僅かであった。本来なら気付く事もない僅かな臭い。
だが彼はそのまま追及することもなく、屋敷の中へと入っていった。
出かける前は、あんなにも青く澄み通っていた空だったのに、今は黒と白が溶けいるように灰色を生み出し、悲しい空になっていた。
そう、それは何かを暗示するように……。
冷たい雨の予感がする――――
雨が降ってきた。
曇り始めたその瞬間から分かっていたというのに、彼にはあまりいい気分では無かった。
次第に外の音がすべて聞こえなくなる位大きな音を立てて、雨は泣くのだろう。
気が付くと、窓ガラスには自分の姿が写っていた。
まだ幼い顔付き。もうこれをどれくらい見続けたのだろう。覚えていないくらい昔で、忘れたい過去でもあった。
そして、たったこの世界で一人だけの一族の証拠。
赤と青。中には炎と水と言う人間もいる。
それがガラスを通して、自分に語りかけてくる。
『裏切り者は、もう君しかいないんだよ』
と――――。
不意に、彼の視線からそれが見えなくなった。
彼が屋敷の外に見える暗がりの庭から、目を離したからだ。
そして、後ろに座っている一人の少女を見つめた。
嬉しそうにテーブルの上にある彼の荷物をつついて遊んでいる。
「なにが入っているのかなっ、叩いたら増えるのかなぁ」
と言いながら、何処からか金槌を取り出してくる。
そして、荷物に向かって振り下ろそうとするルナリーに向かって慌てて走り出す。
「があぁぁ!! 増えるかぁぁぁぁ!」
危機一髪というのであろうか。紙一重で金槌は止まる。
「むぅ……、残念」
「ざ、残念じゃないだろ!! あぁ……、さっさと依頼こなして帰りたい。このままじゃ、ボクの身が持たない」
そう言いながら、荷物を金槌から守るように抱え込むとそのままテーブルの側にあった椅子にへたり込むように座った。
「でもでも、叩いて見るたび、ビスケットは増えるっ♪ という歌だってあるんだよ」
「………ビスケットが割れるだけだろうが」
向きになって言うルナリーに対して、一瞥するウィル。
それに対して、不思議そうに問い返してきた。
「……そうなの?」
「あぁ」
彼がそう言った途端、心底残念そうに肩を落とすと金槌を棚にしまいこんだ。
(………幼児並?)
そう思いながらも、彼は部屋の中を再度見回した。
質の良い白で統一された調度品。落ち着きと冷静さをどことなく与えてくれるこの感覚は、女性ならではの色彩感覚だ。
屋敷の二階にあるルナリーの部屋だった。
他にも沢山の部屋が存在し、使用人の部屋や書斎、調理場……そして今は亡きルナリーの両親、アリシオード夫妻の部屋もあった。
どこも今では使用されること無く、固く閉ざされている。
今この屋敷に居るのは、ルナリーとウィルだけだった。
使用人などは、両親の死と共にすべて引き払われてしまったそうだ。
アリシオード家。この近辺では有名な貿易商の家柄である。昔から力のある家柄では無く、最近力を伸ばしてきたと聞いている。
身も蓋もなく言えば、成金という事だ。だが、それに奢ることのない人柄の良い主人である事も耳に入ってきていた。
そして、先程出会った男女の二人組はアリシオード卿の弟夫妻。
(遺産ねぇ、お金のどこがいいんだか……)
そう思いながら、彼はここの屋敷の書斎から取り出した本を捲る。
それを椅子の上で面白そうに見つめているのは、ルナリー。
「ウィル君は、本が好きなんだね」
いつの間にかに、『君』付けになっていたが本に意識が集中していたため、彼はあまり気には留めなかった。
「あぁ」
気のない返事を返す、ウィル。
その返事にルナリーは不満そうに口を尖らせる。
「もうちょっと、相手してくれてもいいのになぁ」
「……あぁ」
相変わらず、素っ気ない返事が返ってくる。
それを聞いて、より不満そうに口をもっと尖らせる。
しかししばらくして、何か思いついたようにルナリーが両手をポンッ叩いた。
「あ、そういえば父様の書斎にもっと古そうな本があったんだっけ」
「是非、お供させていただきます」
夜が来る。
雨の音は、鳴り止むことはない。
無限に続く雨垂れの音が漆黒の闇の中に響き渡る。
此拠から先は、魔の世界。
人が入る事を許されぬ、破壊と滅びの衝動の固まりが擦れ違う世界。
空はもう見えることはない。ただ、雨垂れの音とガタガタと揺れる窓枠の音だけがこの部屋を支配していた。
後に残されたのは、静寂。何も感じ取れぬこの感覚は、永遠に続くのではないだろうかと思われた。
だが……
そして、少女が側で寝ている事を音で確認し、右手で掴んだ棒のようなものを利き手に持ち替えた。
その静寂を破る音が二つ。
一つ目は、大広間の大時計と思われる十二回の鐘。
それと同時に聞こえ始めた音。一分の狂いもない正確さだ。
カチャカチャ。
複数の音が遥か先から聞こえ始めた。
それは、目の前の扉の先。この屋敷のどこかからだ。
(……夜が来たか)
彼は、そう心の中で呟くと左手にある杖を握り直した。
杖。白銀で出来たそれは、人間には不可能な程の細かな細工が杖に施されている。そして彼の身長の約一,五倍はあった。
世界に一つしかない、彼だけのために作られた道具。
人間にしては軽やかすぎる音。それは、突然目の前にある木製の扉の前で止まった。
再び雨垂れと風の世界になる。
それは一瞬であろうか。それとも長い時間を要していたのだろうか。
カチャカチャ、とノブを捻る音が何度も向こう側から聞こえ始めた。
扉には鍵がかかっている。
それに相手は気が付かない。人間にあるはずの知能が欠如しているからであろう。
いや、彼等にとってそれは、遥か昔に捨て去ってしまったのだ。
残っているのは……、滅びかかった躯ではなく滅びた躯。
カチャカチャが……、ドンドン!! という音に変貌する。
それが少しづつ激しくなり、そして
一線の光と共に扉が左右に割れ、扉だったものは、左右に倒れ込んだ。
カチャ……カチャ。
規則正しいリズムで闇の中から現れたのは、無数の骨たちだった。
衣服も背丈も全く違う。ただ、共通して言えることは骨と元は瞳があった場所に広がる虚無と漆黒の闇。
スケルトン。肉の一破片すらも無い、まさに死の象徴を意味するアンデットだ。元は人間であった骨たちの集合体であり、使役する魔術師、ネクロマンサーの手によって召喚される。
彼等の目的の魂の側には、椅子があった。
そしてその上には、目的とは違う魂が存在していた。
人間とは違う。僅かに異なった魂魄の色。
音の無い雷が一瞬きらめく。
だがその光に照らされたそれは、人間の形をしていた。
それは、そっと瞳を開いた。
その瞳は、右目は炎のような赤。左目は深い海のような青。
そこに映るものは無数の骨。
「……話と違うな」
それは小さく低めにそう呟くと、抱え込むように座っていた椅子から降りた。
「まぁ、いいさ」
そう笑って言うと、そのまま骨に向かって走り出す。
向かってくるそれが、敵だと認識できないスケルトンの一匹にそのまま杖が軽く触れる。
その瞬間だった。
接触部分から突如現れた白い光と共に、スケルトンの骨が光り出す。
そして光が収まった時にはそこには何もなく、すべてが消滅していた。
白銀の杖は、神々しい青白い光を僅かに放ちながら彼の手に収まっている。
それを空虚の瞳で見つめる骨達。
「まぁ……、専門だしね。近付くと怪我するよ」
余裕のある笑みを浮かべ、扉の向こうに話しかけるウィル。
そんな彼を尻目に、一匹のスケルトンがベッドの上で寝ている少女に手を出そうとした。
だが骨の指が彼女に触れた瞬間、ジュッと音と共にスケルトンの指が消滅した。
まるで、その光を恐れるように手を引く骨。
「むぅ……、なぁに?」
その時の感覚のせいだろうか。身動ぎをしてゆっくりと目を開くルナリー。
そして、彼女の目の前にはスケルトンの無表情と空虚の瞳。
目を見開いて呆然とした表情で、そのまま目の前に立っているウィルに視線を移動させる。
「……………あっ、えー……とぉ、ほ、ほね?」
目の前のスケルトンを見ない様にして、彼女は彼に問い掛けた。
「……嫌なのが目を覚ました、最悪だ」
その問いに、うんざりした口調で呟くウィル。
「ふぇ、ほ……ほねっ、骨が動いてうご、うごいてるぅっっ、や、やぁだ。えっく」
急に涙をその大きな瞳に溜め、彼女はぐずり出し始めた。
スケルトン達は、二人の様子を見つめるように身動き一つすらしない。
そんな彼女を意外そうに見つめるウィル。
「なんだぁ、本当に苦手だったのか」
彼は困ったように頭をかくと、杖を振り上げ、こう叫んだ。
「取り敢えず、クライアントのご命令には従いますかっ!」
言葉が言い終わるか終わらないかの内に、杖は青白い光をどんどん強めていく。
それは彼を白く消し去ると無数の骨達、ルナリーそして部屋全体を白く包み込む。ゆっくりと、そして何者すら逃さぬように。
白く光輝く世界の中、一人の少年の声が聞こえた。
「我ノ声ニ従……。死、我ト共ニ在。」
それは、不思議な位澄み通った声だった。まるで教会の司祭が神の言葉を告げるように……。
ジュッ……、ジュワッ! あちこちで聞こえるそのような音と共に、光は少しづつ縮小していく。
そして、光が過ぎ去った後には無数の骨たちは消滅していた。
彼等の来ていた衣服や武器がそこら辺に転がっている。
彼はもう残っていない事を確認すると杖を下ろし、ルナリーの方を見て言った。
「ふぅ……、取り敢えず一段落」
「あ、あれ? ほ・・・ねは?」
今まで毛布の中に隠れていたルナリーは、不思議そうにウィルの元に駆け寄り、尋ねた。
さっきまで泣き顔だったのに、今ではそのかけらも残っていない。
大変な気分屋だった。
「あぁ、君らで言う『成仏』だよ。取り敢えず、体を消滅させて神の御元に送った」
「ふぅん。ねぇ、もう終わり?」
少し残念そうに、ルナリーはウィルに聞いた。
「いや、まだ残っているさ。根元を絶たないとね」
そう呟くと破壊された扉の前に歩み寄る。
その時だった。
扉の前から何かが蠢いて、そして急速に消えていくのが分かった。
そして、僅かではあるが膨れ上がった殺気。
それと同時にパタパタと何かが駆け出す音が聞こえた。
先程の軽い骨が床に転がるようなスケルトンの足音では無い。
「追いかけるぞ!」
「えっ、あぁちょっとぉ〜!?」
そう言い終わらない内に彼はルナリーの手を引いて、僅かに冷え込んだ廊下へと走り出した。
外では雨がまだ降り続いていた……。
「別にいいんだけどさ、ボクの仕事を邪魔する気なのかい」
開口一番、彼の言葉から出たのはそれだった。
薄暗い一階の廊下。白い寝間着を着た少女は不満そうに口を尖らせ、彼に聞こえないように小さく小さく呟いた。
「お腹空いたんだもん、いいじゃないこのケチ」
と。
だが地獄耳の彼にはどうやら聞こえていたらしく、耳をぴくりと動かすと得意の毒舌を使い始めた。
「あぁ、そうだね。もうこんな時間だものねぇぇ。ボクは一睡もしていないのに何ていう言い種なんだろう。馬鹿みたいに神経使わないで、お腹空いたなぁとか思う人はいいねぇ〜!」
「むぅ……、それ酷い」
「大広間の階段から転げ落ちて、ボクを思い切り下敷きにした人間が? そのお陰で、あの人影見失っちゃったしさぁ。おまけに腰が痛いときてる。それでお腹が空いた………。バカ娘」
「そんなに言うことないでしょぉ……あうぅぅ」
と言いながらお腹を押さえ、その場に蹲るルナリー。
「……なんだ?」
不思議そうに尋ねるウィルに対して、ルナリーは涙声で言った。
「お腹空いて、一歩も動きたくないの〜」
「…………。この場に置いていこう」
そう言って、ルナリーに背を向け歩き出そうとしたその時だった。
「あぁ駄目ですよ、そこのお坊ちゃん! こんな可愛らしいお嬢さんを放っておいては」
突然後ろから、甲高い声がウィルの耳を突き抜けた。
「はぁっ!? …………ぁ」
そのあまりにも場違いな言葉に振り向くウィル。そして次の瞬間、文字通り凍り付いた。
カラカラと骨の重なり合う音を出す、無駄肉どころか肉の全く無い体。その体には、質の良さそうな執事服。空虚と虚無で作り上げられた漆黒の瞳。
スケルトンであった。
だが他のスケルトン達とはどこか違っていた。スケルトンは無表情のはずなのに、彼には『愛嬌』という二文字が漂っている。
それになにより目の前でしゃべっている。発音する舌や喉の肉が無いはずなのに、何故か人間の言葉を発音している、話している。
「………スケルトン? ……まぁ他は……、この際気にしないでおこう」
困惑しながらも、彼は左手の杖を彼に向けた。
するとスケルトンは、慌てて冷や汗(何故出るのかは謎)の様なものを顔全体に出しながら、両手を左右に振った。
「平和でいきましょう。私は平和主義をこよなく愛する紳士ですので、戦いは好まないのです。あぁ、しばらく私が死の世界にいた間に、人間はどうしてこんなにも野蛮な体質になってしまったのでしょう。そもそも人間というのは、ケティリア神話によりますと神々の誕生から始まり……」
終いには、虚無の瞳から哀れみの涙を零し出す(何故泣けるのかは謎)始末。
「……な、何なんだ」
さすがにウィルもこれには戦意を喪失し、目の前の突き出した杖を改めて見つめた。
新種のスケルトンの説も頭の中で考えてみたが、そんな話は聞いた事もない。
「お嬢さん、本来人間というものはどうして存在しているかご存じでしょうか? 生前の我が主人は、このように申しておりました。人間とはそもそも……」
「え……あ〜、その、私……」
ルナリーも先程のようにぐずる様子は無い。逆にその状況に圧倒され、呆然と目の前の骨を見上げている。
「そう、神々は自分達の分身として人間を作ったと言われております。けれども、それは間違いがございまして……」
その変なスケルトンは自分達を気にすること無く、ベラベラと昔話を交えた神話の話を始めた。
彼?は、非常に熱弁していた。
そして、一回目の大広間の柱時計の音が響き渡った頃、やっとこさ彼の話は終わろうとしていた。
「――――と言うわけでありまして、彼等は初めて神々に人間という称号を頂いたのであります」
「わー、ぱちぱちぱち〜♪」
「…………へぇ」
嬉しそうにパチパチと手を叩くルナリーを尻目に、ウィルは顎に手をやりながらその熱弁について考えていた。
「ふぅ、ご理解いただけたでしょうか?」
汗(何故汗をかくのかは謎)を拭いながら、三十分以上熱弁していたスケルトンは疲れたように一息ついた。
すると今度は、杖を体の支えにして今まで聞いていたウィルが口を開き始めた。
「残念だけど、それには間違いがあるよ。本来ケティリア神話というのは人間主体の概念では無く、神々を中心としその神々の形を追っているものなんだ。もっと古い時代の神話の写本を読むと、全く違う話なんだよ。君が話してくれたのは、大体二百年ほど前のだね。ケティリア神話は何百冊にも写本として作られていて、たまにその時代に有利な様に書き足されていたりするのだよ。つまり………」
そして、二回目の大広間の柱時計の音が響き渡った頃、やっとこさ彼の話は終わろうとしていた。
「と言うわけなんだよ。伊達に本コレクターというわけではないんだよ」
と嬉しげに語るウィル。
その横では、それを真剣に聞いているスケルトンと半分居眠り半分覚醒状態のルナリーが壁を支えに座り込んでいた。
「わぁ〜、ぱち……ぱ……ち〜♪」
「……ほほぉ」
すると、今度はスケルトンが口を開き始めた。
「するとですな、私めの時代にあったジェルマン事件は、それに関与するわけなのですね。私はその事件について、このように思うのですが。事件の発端になったジェルマン氏著作の『永遠の鎖』は、生に一種の背徳感を覚えた主人公が……」
そして、三回目の大広間の柱時計の音が響き渡った頃、やっとこさ彼の話は終わろうとしていた。
だが
夜はまだまだ続きそうであった……。
朝日が差し込む。
優しい光と共に温かい光が肌を通して、体の中に伝わってくる。
そして、背中から伝わる違う感覚。
たまに、もそもそ動いたりはするが、何か優しい感覚。遠い昔、よく知っていたはずの……、何か。
優しくて、温かくて、ずっと求めていたそんな感触と気持ち。
(あ……、温かいや)
彼女は、そのままその中に顔を埋める。
「……動物みたいだな、このバカ娘は」
そんな声が頭上でする。
言葉はどうであれ、どこか優しい声。
その中でルナリーは、覚醒した。
ゆっくりとその青い瞳を開くと、自分の目の前には知らない横顔があった。
遠くを見つめ、どこか憂いを秘めた鋭い切れ長の瞳。
右目は夕焼け。
左目は青空。
茶色い髪の毛は、朝日を受けて金色に輝いている。どこからか入ってくる風にゆらゆらと揺れて金色の糸のようだ。
顔形は、まるでどこかの神様に丹精込めて作られたように美しかった。
けれど悲しそうで、どこか寂しそうで……。
二十歳前後の青年がそこに存在していた。
一瞬だけ、朝日が天井にある天窓に反射して目が眩む。
その僅かな動きで、自分が起きている事に相手が気が付いたらしい。
「……ん? おはよう」
そして目の前で彼女にふっと微笑んだのは、一人の少年だった。
ウィルだった。
(あ、あれ? 今のは)
今の青年とウィル。そんないきなりの事に困惑して言葉が出ない。
「……どうかしたか、狸バカ」
そんな言葉を、平然と朝っぱらから呟くウィル。
次の瞬間には、ルナリーは先程の事をさっぱり忘れ、そんな無神経さに腹を立てていた。
だが、自分の今いる状況に気が付くと腹を立てるのを止めた。
「……え、あ、これ。あの……ウィル君?」
最初は困惑だった。
彼の小さな体にしがみついて、寝ていたのだ。
彼は夜中にあのスケルトンと出会った廊下で、壁にもたれ座っていた。
そんな彼の胸元にもたれかかるように寝ていたのは、ルナリー。
ご丁寧に、黒く薄い布が自分の体にかけられている。
「あぁ、ボクとリックが話ている間に居眠りしていたからね。ボクじゃ重い君を持ち上げる事はできないし、リックは骨だからね。あまりにも重いものは、無理そうだったんで。って……どうかしたのかい」
「……うー、別に何でもないもんっ」
困惑より、羞恥心であろうか。
顔から耳まで真っ赤になっているのが彼女には分かっていた。
それを隠す様に黒い布を顔の方まで引っ張った。
「あ……」
その布から、草木や森の匂いが僅かにする。大好きだったその匂い。
小さな頃遊んで、たくさん駆け回ったこの屋敷に庭。
同じ匂いがした。
そんなルナリーを見て、彼は困ったように言った。
「ボクの仕事用のマントなんだけどね……。破かないでくれよ、使ってもいいからさ」
「……うん」
そのままマントを抱いて、彼女は再び眠りの中に落ちていこうとした。
だが、その時だった。奥の食堂に通じるドアが開き、いい匂いと共に昨日のあの声が呼ぶのが聞こえた。
「出来上がりましたよ〜! 朝御飯の準備が出来ましたので、こちらへ御越し下さいませ」
恭しく、ドアの前で礼をするスケルトン。
そのしぐさは、あまりにも様になっていた。生前、執事だったと聞く。死してもその癖が生きているとは、まさに執事の鑑である。
それを見て、ルナリーは勢い良く起き上がると「ゴハンゴハン〜♪」とマントを抱え、嬉しそうに走り去っていく。
残されたウィルは、ルナリーが起き上がる際に彼女の頭にぶつけた顎を押さえて呆れ、かつうんざりした口調で呟いた。
少しでも寝顔が可愛いと思った事を心底後悔して……。
「……あのバカ女」
目の前では、「冷やすもの持ってきましょうか」と心配するスケルトンの姿があった。
こんな肉すらない骨にまで(差別的ではあるが)心配されるとは、もう彼の苦労は、出会ったばかりなのに末期症状だった。
「むくむく……あ、これ美味しいなぁ」
「……黙って食べてられないのか」
「まぁまぁ、仲良く食べて下さい。久々に私が腕を奮ったのですから、是非仲良く食べていただきたいものです」
こじんまりとした食堂。レースのカーテンがゆらゆらと揺れており、そこから漏れる光を見ると、これから暑くなる事が予測される。
銀製と磁器製の食器。木製の椅子。どれも趣味の良いものばかりだった。どこか穏やかな印象を受ける屋敷だということに、ウィルは気が付いていた。その感覚は、そのまま娘であるルナリー・G・アリシオードに受け継がれているのだろう。
(別にいいんだけどね……)
心無しか、そう思った。
久々に人と食事をした。
もう覚えていないくらい昔に、一度だけ食事をした事があった。
家族との食事……。
食べなくても生きていけるのに、たった一度だけ。
もう二度と来ないと思っていた日。
それが目の前で今実現している。
嬉しくもあったが……、辛くて悲しくて………負の感情が膨れ上がる。
もう二度と思い出したくも、体験したくもないあの気持ち。
幸せだった夢を見て、目が覚めたら一人でいる現実。
(あぁ、そうだな。ボクはたった一人の最後の一族なんだ)
改めて感じる、その感触。
怖いのかもしれない――――。
「……ねぇ」
ふと横から声がした。
横を振り向くと、そこにはルナリーが不満そうにこちらを見ていた。
けれどもそれは一瞬の事。すぐに晴れやかな笑顔になった。
「胡椒を取ってくれないかな?」
そう一言だけ言った。取ってやると、満足したように料理の方に気が向く。
どうやら、ウィルの事を先程からずっと呼んでいたらしい。それで振り向いてくれない彼に対して、不満だったようだ。
一番端からフォークとナイフを取り、料理に手をつける。
慣れない手つきでそっと切り、口に運ぶ。
広がるふくよかな味。とてもじゃないが、ここまで細かな味付けが出来る人間を見たことがない。
スケルトンは、彼のその僅かな変化に気が付いたようで静かに会釈をする。
「ねぇねぇ、骨さん」
ルナリーが執事の格好をしたスケルトンに話しかける。
どうやら、お化けはお化けでも彼のことは怖くない様だ。
その問い掛けにリックは微笑むような感じで声を紡ぎだす。
「リックとお呼び下さいませ、お嬢さん」
「あ、私、ルナリーね。ルナリー・G・アリシオードと申します」
「存じておりますよ、ルナリー様」
そう嬉しそうに会話をする、二人はとても幸せでもあった。
「え、じゃあ、今夜決行するの?」
「……あぁ」
食後のお茶を飲みながらウィルは、側でケーキをつついているルナリーに返事を返した。
「昼間にしようよ〜。怖いもん」
彼女は心底困ったように、ウィルの黒いマントをもしょもしょと被っている。
「昼間では駄目なのですよ」
呆れてものの言えないウィルの代わりに、リックが口を開いた。
「我らアンデットは夜しか活動出来ない故、必要無い昼間は我がマスターは魔力を絶っておられるのです。昼間は消滅してしまいますからね。なので同じネクロマンサーであるウィル様が魔力を辿ったりするには、夜でなくてはいけないのですよ」
そう言いながら、ウィルのお茶のお替わりを注ぐ。
「イングリッシュだね」
「……はい、良くご存じで」
「でもでも、リックさんは今昼間なのに活動しているけど、どうしてなの? えーっとアンデットの最新機種?」
「なんだそりゃ。リックは、ボクがそのマスターの代わりに力を注いでいるから平気なんだよ。本来なら昼間は活動は出来ないけど、神の御元の力があれば可能なのさ」
「神の御元?」
「いわゆる、神の祝福を受けたネクロマンサー、死霊使いのことだよ。まぁ、そんな魔と聖という極端な祝福や力を持っている人間なんて、めったにいないけどね」
「へぇ……」
ルナリーが感嘆のため息を漏らすと同時に、リックが難しい顔をして、ウィルに言った。
「そうですな。たしか、王朝期のアリア皇女陛下がもっていらしたくらいで記録は残っておりませんね」
「いや、もっと古い文献だとあの有名と謳われた………」
そして、柱時計が鐘を三回鳴らすまで彼等は話を止めなかった。
そして、また再び夜が来る――――。
光の世界は終りを告げる。
暗い闇の中に放り出された、人間は生きて帰ってこれるのであろうか。
それは……古くから伝わる伝承の理であり、語りであった。
けれども今だけは優しい光に包まれる事を許されていた。
小さな大理石のテラスの縁に座り、満月の光に体を預けていた。
涼しい風が、彼女の長く美しい髪と寝間着をパタパタと音を立てて揺らしていた。
夜が来た……。
どうして骨達が自分を狙うのかはもう知っている事だった。
誰がこれを差し向けているのかも……すべて。
事故で亡くなった両親から、受け継いだこの屋敷。
それに、どんな価値があるというのだろう。どんな価値を見いだしているのだろう。
この屋敷一つで、どれくらいの人間が心を動かすかも知っている。
けれど、彼女にはその考えが理解しがたいものだった。
ルナリーにとって、この屋敷は思い出の価値なのだから。
きっと彼女が死んでしまったら、屋敷どころか思い出すらすべて泡とかしてしまう。
両親の残してくれたものを守りたい。
それは分かっている事だった。
けれども
「……皆、仲良く出来ないのかな」
ただ、そう呟いた。
返事など期待せずに呟いた言葉。
期待などしていなかったのに、突如返事が返ってきた。
「仲良く出来れば苦労はしないさ」
ウィルだった。
一つにまとめた短い髪を風に踊らせながら、窓の側に立っていた。
紅い月の光に照らされた彼は、どこか無表情で。
感情のこもっていない声でそっと呟いた。
「長い事こうやって生きているけど、人間は互いに殺しあい、そして憎むものなんだよ。たしかに人間には、美しい部分もあるかもしれない。けれども、この世に存在する美しいものには必ず棘があり、汚れている部分がどこかにある。逆を言ってしまえば、汚れていないと美しくはいられないんだよ」
今彼女の目の前に映っているものは、美しかった。
けれども……彼の言う様に、それはどこかが汚れているんだろうか。
「永遠に美しくありたいなんて、無理なものさ。いつかは汚れて散ってしまう。美しさへの欲望に身を任せ、滅びていく」
そう言うと彼は踵を返し、部屋の奥へと姿を消そうとした。
「……永遠は永遠なんかじゃない」
一瞬だけの寂しそうな声で、そう一言残して。
ただ、テラスに残されたルナリーは規則正しく揺れるカーテンの先を見つめているしか出来なかった。
ついては消える、朧気な光。
どこか消え行きそうな動きをする黒い影。
北の方面で十一回の鐘の音が聞こえる。その音は『それ』の物ではなく、あの少女の物。
忌ま忌ましいあの娘。どこか愛する人の面影を残し……。
あの意志の強いまなざし。顔形の整ったあの笑顔。そして……あの娘に流れている、血。
血液が逆流しそうな怒りと憎しみ、そして愛しさを元に……、『それ』は今日も生き延びている。体中の生気を抜かれようとも、血液を吸い取られようとも……『それ』は生きている。
紅い絨毯の廊下を足音も無く、進み始める。
息遣いも何も聞こえない。幽霊、レイス? これを人々はきっとそのように恐れるであろう。
だが、魂魄は存在していた。
大広間まで来ると、迷うこと無く静々と一階へと歩き始める。
そして一階と二階に通じる階段の中間にある、柱時計の置かれた間に眼を向けた。
『それ』は鐘の鳴る柱時計の前に立ち止まる。そして顔を上げ、柱時計を見上げた。
柱時計は、彼の身長の三倍ほどあり、天井に届きそうな勢いで天へと伸びている。
細かな細工。
それは、天から追放されし堕天使が遥か空にある故郷の天を夢見、再び天界に帰ること願える事を表していた。
堕天使の顔は地の底で焼ける痛みによって苦悶を浮かべながらも、どこか悲しみと幸せという矛盾な表情で満ちあふれている。
純白の汚れなき翼はもがれ、躯の半身は地に縛られ……、それでも生きていた。
いや、生という呪いを受けていた。
神は……反逆を揺るすまじと、彼に生を与えた。
それは…………、現実なのであろうか?
『それ』は、この柱時計が好きだった。
「あぁ……」
苦悶とそして悲しみに満ちた声。
それも今日で終わる。終わらせたかった。
この柱時計と思い出を……自分だけの物に。
天窓から零れ落ちる、呪われた紅い月明りに当てられ、『それ』の瞳だけが見える。
ギョロギョロとした紅い血走った瞳。
人間の瞳。だがもう人間の瞳では無かった。
「………呪われた天使の肖像とは、良く言ったものだよ」
後ろから聞こえた声に『それ』は振り向いた。
「やぁ。随分変わり果ててしまったのですね、貴方は」
上の階段には、いつの間にかに一人の少年が座り込んでいた。
右手は顎に。左手には、少年の背丈の何倍もある白銀の杖。
『それ』はそれが何かを知っていた。
ネクロマンサーの杖。
巷では白銀をから造られた物だと言われているが、本当では白銀に人間の魂魄を加えて作られた、忌まわしい呪われた錬金加工物。
昔読んだ書物にそう記されていた。
「……やはり、お前だったのか。あの時の餓鬼」
『それ』……いや、彼と呼んだ方がいいだろう。より一層強くなる月明りに照らされた男は、顔に似合わぬガラガラ声で呟いた。
その生気の無い声を聞いた途端、少年は口元を僅かに歪める。
「気付いていたんでしょうが……。だから、慌てて彼女にあれをけしかけた。違いますか?」
それに対し、男は無言だった。
だが、柱時計の回りに何かが光輝くのが見えた。
それは軌跡を描き、柱時計を中心にして何かを記し始める。
最初は滅びだった。
滅びを司り、すべてが消滅した体に我の力を使い、再び蘇る事を。
次は憎しみだった。
憎悪を掲げ、我の憎しみを吼え。
最後は………
似合わぬ髭を摘みながら、男はこちらを見ている。
そして、光の収まった回りには無数のアンデット達。
アンデット達は軽い足音を立てて、階段をゆっくり上って来る。
狙いは……。
「……別にいいんだけどね」
そう言いながら、彼はゆっくりと立ち上がった。
その間にも後ろに描かれた円形の呪術円からは、苦悶の声を吼え、無限に生み出される骨達。
そしてゆっくりと階段を降り始める。足音も立てずに、彼には長過ぎる黒いマントを靡かせ、階段を一歩づつ踏む。
そして……、先頭のスケルトンと彼が擦れ違う瞬間だった。
青白い光が彼の躯から放出され、一瞬にして彼の回りを包み込む。
それに触れたスケルトンの手は、ジュワッと言う音と共に消滅。
最初は手。次に腕、胸、腰、頭、足…………それはまるで壊死するように骨の体が消えていく。
ウィルは変わらない余裕のある笑顔で、一歩一歩踏み出していく。
彼が一歩踏み出す度に、ジュ、ジュワッ……そんな骨が蒸発する音が聞こえる。生み出し、また消えていく。
黒いマントが白い光に揺らされながら、強く靡いていた。
また一段、また一段と何の音もない足音が聞こえる。
死神の足音。
「このボクの相手になると思っているのか」
気が付くと、彼が男から最後の一段の所までいるのに気が付いた。
「……っ!」
男は、慌てて後ろに下がる。
そして、その時に男は目の前にいる少年の瞳を見て驚愕した。
自分を覗き込む、炎と水。
見る物を恐怖に追いやる瞳。
男は後ろにある柱時計の堕天使を見た。
堕天使の右目には、ガーネットの紅い宝石。左目にはサファイアの青い宝石が嵌まっていた。
「……呪われた瞳」
男は何かを恐れるようにそう呟くと、ウィルの側を少しずつ離れていった。
それを見ながら、彼は不敵な笑みを浮かべゆっくりと骨を消滅させながら彼に近付く。
「気が付かなかったんだ……。こんな目立つ証なのにね」
また一歩。
「ま、まてっ、あの一族はもう滅びた筈だぞ!」
「不老不死の一族が滅びるわけないだろ」
彼は、階段を全部降り切った。男と同じ床に立っている。
男は下がる。カツッという音と共に柱時計にぶつかる。
しかし、これ以上逃げる様子も無く、男は柱時計を守るようにして立っていた。
「? まぁ、いいさ」
その行動を不思議に思いながらも、彼は男の目の前に杖を突き出した。
「待ってっ!」
その時だった。階段の上に一人の少女が立っていた。側にはスケルトンが一匹。
綺麗な髪を靡かせ、白い寝間着を掴んで。
息が荒い。
恐らく走って来たのだろう。
美しく、なにより意思の強い瞳。
そんな決意を秘めた少女は、そこに立っていた。
「ルナリー……」
どこか驚きを隠せない声で彼は、その相手を呟いた。
ルナリーと呼ばれた少女は、階段をゆっくりと降りてくる。
男は呆然とした表情で少女を見つめている。
そして、彼女は階段を降り終わると目の前に佇んでいる二人の間に割り込んだ。
彼女が男に突き付けられているネクロマンサーの杖の先端をそっと掴み、そのまま下に下ろす。
ウィルは逆らいもせず、そのまま従った。
ゆっくりと青白い光が闇の中に溶け込む。まるで掌に乗った雪が溶けていくように……それはあまりにも自然で唐突だった。
「……叔父様も」
強く決意を秘め、そしてどこか儚さを感じる声に、男は憎しみよりも懐かしさと愛しさを覚えている自分が居るのを感じた。
無言で男は、そのままその場所に座り込んだ。
どこか疲れているようでもあった。
「……もう止めようよ。仲良くしたいなぁ、私」
そう呟く、ルナリーもまた疲れているようだった。
「知っていたんだよ、正体が叔父様だったのは」
「……そうか」
いつの間にか、彼の瞳は血走ったギラギラした目ではなく、どこか落ち着きのある感じになっていた。
「どうして……」
真実を改めて直視しても彼女は………強くいることを止めない。
答える代わりに彼は、ゆっくりと後ろを振り向く。
そこには、あの柱時計があった。
「……手に入れられない物もあった。だから、君が憎いんだよ」
「………」
ウィルは最後の一段に座り込み二人の様子を見ていた。
白銀の杖は構えたままだ。いつでも攻撃出来るように、相手を絶命させる事が出来るように。
絶命……、もう死への感覚は欠けてしまったのだろうか?
名も知らぬ彼女の叔父は、話を続けた。
「君はあまりにも似ているんだよ父上に、私の兄さんに」
「父様……?」
「優しい人だったさ。昔から私は兄さんと一緒だった。血が繋がっていない両親。私は養子でこの家に来てね。……その中での生きがいだったんだよ。昔は体の具合が悪かったから外に出してもらえなかったから、兄さんが唯一の人間で友人で……家族だった」
兄さん……、それ何?」
「あぁ、ラズベリーだよ。美味しいんだって」
「うー、いいなぁ。僕も欲しいや」
「余計に取ってきたから上げるよ」
「いいの?」
「別に、減るもんじゃないしね。また取ってくれば増えるもんだって」
「本が……無いや」
「はぁっ? まったくしょうがないなぁ。ほらほらどこに落としたんだよ〜」
「えーっと、最初は庭にいって……次は書斎で……」
「書斎! 父上が帰って来る前に探さないと!! ほらっ、いくぞ」
「あぁっ、待ってよ!」
「……柱時計に傷を付けてもいいの?」
「いいのいいの、今年は身長どれくらい伸びたかな〜」
「僕……、低いや」
「大丈夫だよっ! いつか伸びる伸びる」
「父様……」
「だからこそ、それを自分から取り上げた君の母上様が憎いんだよ」
憎悪の念が僅かに膨れ上がる。
立ち上がろうとしたウィルを差止め、ルナリーは黙ってその声に耳を傾けていた。
「優しい方だったさ、君の母上は。けれどもたった一人の家族を自分から取る事だけは許せなかった」
「………」
「君の顔を見ていると憎くも愛しくもある。皮肉なものだよ。あの二人が死んだ今でも、思い出と自分の欲のために求めようとするのだから、愛を」
私と一緒。
そう言おうとした、ルナリーは口をつぐんだ。
どこかその形が違うからだ、この人とは。
気持ちの形が。
「ルナリー。君を殺せば、私は半分気持ちが晴れて、半分悲しんだのだろうね。君は二人の血を引いているのだから」
「えぇ……、そうかもしれません」
俯いて、彼を見つめるルナリーの顔は見えない。
「……!?」
その時、ウィルは床下の異変に気が付いた。
呪術円の光が先程と比べ………弱くなっているのが分かった。
呪術円――――それは術者の力と引き換えに無限に召喚できる魔術。
力が強ければその分だけ持続していられ、力が弱ければ、ネクロマンサーとしての腕が足りなければ、普通の人間ならば……それは
いきなりルナリーの叔父は立ち上がった。反射的に後ろへ下がるルナリー。
「だから…、君を殺して半分……幸せに……………………………………
……………………………………………………………………………なれるわけ
…………………………………………………………………………………………
…………………………………………………………………」
死を意味する。
崩れ落ちる彼の体からは、ゆっくりと緑がかった白い光が零れ落ちる。
そして、それは一つだけを残して、全て床下に吸い込まれていった。
ゴトリと音を立てて、床下に転がる干からびた屍。
それと同時に全ての骨達がその場に崩れ落ちる。
短い最後。
床下の呪術円はゆっくりとその姿を消していく。
その緑の光は、天に上り始める。
ウィルはゆっくりと杖を天に掲げる。
ゆっくりと光が放たれる代わりに、側にあった骨が音も立てずに白い雪となって光となって、天に上り始める。
それはまるで雪が降るのを逆回転するようだった。
そして……、側にあった醜い、けれども純粋だった屍も雪に変わり始める。
それを見つめながら……、彼女は掌の中に存在するものに気が付いた。
「半分だけ幸せになれても……」
たった一つだけ、彼女の手の中に輝いている。
小さく、守るものすらない、魂魄の核。
「しょうがないんですよ―――――」
それは雪のように、彼女の手の中で命は溶けていった。
右側の側面に思い出を刻んだ柱時計は、一日の終りを十二回だけ悲しく告げた。
さようならを告げる音だった
零れ落ちる雪はもう二度とかき集められないように
消えゆく光を輝かせる事は出来ないように
消えていく
最後まで
最後の一粒まで消えゆく瞬間
それが……
おわりとはじまりの場所であり
物語であった
だから――――さようなら
「で……、君はどうしてここにいるのかな?」
夏の暑さは、これから強めようとしていた季節だった。
彼は頭上に輝く太陽の光を受けながら、色々と思索していた。
せっかく依頼料として手に入れた、目の前の本などほとんど読んでいない。
彼の頭の大半を埋めていたのは、頭上でオムレツの入ったまだ熱のこもったフライパンとフライ返しを両手に持った少女の事だった。
「むぅ……。リックさんは良いのに何で私が駄目かなぁ」
少女の言葉は可愛らしいが、口調が非常に刺々しい。
可愛らしいエプロンをヒラヒラと夏風に揺らしながら、彼女は不満そうにテラスに立っていた。
「邪魔、危険、バカ、間抜け。その四原則がそろっているタヌキ女は受け付けないんだよ。それに人の家の扉を大破して言う言葉か……?」
と玄関先にいるはずのリックを思い出す。
マスターである、叔父が消えてしまったと同時に彼の召喚したスケルトンは消えてしまった。
だが、彼だけはウィルが魔力を注いだのが原因か消えなかった。
どうやらその時に、より強い魔力を持ったウィルに彼のマスターが変更してしまったらしい。おまけに神の祝福を受けたネクロマンサーであるウィルの力によって朝も昼も夜もバッチリ元気な完璧なスケルトンになってしまったようだ。
行く場所も無く、しかも自分が原因であっては、責任を取るしかない。それにお茶を入れるのが上手で、元執事の永遠な従業員とくれば文句無しであった。
きっと今頃「ドリドリ〜」と歌いながら扉を直しているのだろう。
それに比べて……。
改めて頭上を見上げると、ルナリーが相変わらずの表情でこちらを睨み付けていた。
「むぅ……、だって私も行く場所無いもん。屋敷は、皆売り払って孤児院に寄付しちゃったしぃ……」
「だったら、売り払うな」
そう言った途端、ルナリーはそわそわしだす。
「だって……。あんなに広いとお化け出そうだし、なにより……」
「なにより……?」
「ん……、なんでもないの!!」
そう言いながらフライパンを左右に振る。
その顔が少し悲しそうに見えたのは、気のせいであっただろうか。
「御飯要員がいると助かるよ〜」
「この間教えたように不老不死だから、僕は御飯は食べない」
「………掃除、洗濯」
「リックがいる。自分でも出来る」
「……むぅ、私にどうしろというのよぉぉ!!」
「出て行け」
無情にもそう言うウィルに対してルナリーは、口を尖らせ泣きそうな顔をした。
「ひ、ひどぉ……………………へ、……へ、へくちょーん!!」
突然のくしゃみと共に、反射的にルナリーは思い切りフライパンを下に振り降ろした。
ガスッ!
「あっつぅぅぅっ――――!!」
そんな音と絶叫と共にオムレツがどこかへ飛んでいく。
そして高熱に熱せられたフライパンは真下にいた人物の頭にめり込んでいた。
鼻をすすりながら目の前を見るルナリー。
そこには、オムレツの汁と油まみれの本を摘んだ涙目のウィルが、僅かに焦げた匂いを発する頭を抱えこちらを睨んでいた。
「あ……、あはは………」
その凄惨な状況を目の前に苦笑いを浮かべ後ろを向く、一人の少女。
そして、彼は今日何度言ったか分からない言葉を叫んだ。
「絶対、出て行け――――――!!」
END |